ベトナムで働く生活:繊維工場労働者

大量生産業は近年のベトナムでのめざましい成長を支えてきました。その成功は、数百万人というフィンヴァンハイのような労働者の努力の上に成り立っています。
ハイサンは1987年にフエで生まれ、職を求めて400マイル南にある、ベトナムの商業都市であるホーチミン市に移住しました。

貧困地区にある作業場と住居兼用の建物に、兄妹と共に暮らしました。ハイさんが日中にアパレルメーカー、カルティナの大きな工場で働いて稼いだお金では足りず、家族は不足分を補てんするため、深夜まで織布作業を続けました。
「ホーチミン市で働いて得られる給料も労働条件も、全体的に悪くありません。問題なしです。何とかやっていけるくらいは稼いでいます。」とハイさんは語ります。

ハイさんは、繊維業界で10年勤めてきました。16歳で配送係としてスタートし、その後大きなメーカーに移り、織布工場の仕事に就きます。そこで生産された衣類は、ヨーロッパ・日本・アメリカのデパートや高級店で売られています。通常は、ハイさんは10時間シフトの勤務をこなします。始業時間は午前7時で、終業時間は午後5時です。可能な時はたいてい残業をし、通常シフトのほかに、2〜4時間働きます。

ハイサンが現在クラス小さな家は、かつて墓地だった場所にあり、そこに妹と、妹の夫、そして、ハイさんとは別の生産業の仕事を求めて越して来たばかりの一番下の弟と暮らしています。
家でも収入を増やすために家族全員で働きます。衣服製造の個別注文をこなし、稼いだお金は両親とポリオを患う妹への仕送りに充てます。

ハイさんの当面の願いは妹が健康でいられることです。また、将来的にはホーチミンの街で家族を持ちたいと願っています。
「家族と暮らすことができたらと願っています。今のような繊維工職人として働くのはとても過酷です。」とハイさんは語っていました。

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